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「南京大虐殺」宣伝で反日活動・松岡環

2016年 09月24日 16:36 (土)

元スレ おーぷん2ちゃんねる

1 名前:山梨◆lKceO1.r3A[sage] 投稿日:2016/09/24(土)03:24:43 ID:Wps

松岡環

南京大虐殺の真相究明のために闘う日本人女性―中国メディア



「九一八事変(満州事変)」から15日で丸85年を迎えるに当たり、日本の女性作家で、南京大虐殺を研究する松岡環(たまき)さん(69)は、中国の東北地方を訪問。大連市で「歴史を正視する」と題した講演会を行った。

講演会は、現地メディアが騒ぐこともなく、落ち着いた雰囲気の中で行われた。新華社が伝えた。

松岡さんは日本の右翼からの妨害を受けているため、近年は多くを語らず、慎重に行動している。

しかし、実際の経験者の多くが亡くなっている」ため、「行動が一番貴重」とばかりに、日本の中国侵略戦争の加害者と被害者の証言を急いで集めている。

8月6日、松岡さんは北京で、著書「南京 引き裂かれた記憶」の中国語版の版権調印式に出席した。

同書は今年初めに、カナダで英語版が刊行され、西洋で熱い論議を巻き起こした。

日本国内で、松岡さんが最もよく受ける非難の言葉が「それでも日本人か!」で、右翼の人々からは「中国人から金をもらっている」とののしられている。

取材に応えた彼女はほほ笑みながら、遠目で、「心配ばかりするなら、何もしない方がいい」と話した。

松岡さんは小柄であるものの、彼女の本を読むと、心がとても強い女性だと分かる。

残酷な歴史をリアルに記録するため、彼女は「裏切り行為」と見られることも気にせず、30年近く戦ってきた。

1947年に、大阪で生まれた松岡さんは、典型的な戦後のベビーブームの世代。

戦争に参加した家族もいる。

例えば、父親は44年末に徴兵され、海軍として朝鮮半島に送られた。

また、母方のおじも中国へ行った。

そんな彼女が戦争について初めて知ったのは、5歳の時におじの写真を見た時だ。

その写真には軍服を着て、戦闘用のナイフを持ち、意気揚々とするおじが映っていた。

戦争に負けた日本人は複雑な気持ちに襲われた。

街は戦争の傷に満ち、人々は国を富ませ栄えさせようと躍起になっていたものの、悲劇でしかなかった戦争について、元兵士たちの多くは口をつぐみ、家族も「恥」と感じて、言及することはなかった。

そして、日本政府も国民に戦争の真相を説明してこなかった。

「子供の頃から大人になるまで、戦争というと『連合国に負けた』としか教えられず、中国を侵略したことには触れられなかった」と松岡さん。

臭い物に蓋をされたため、戦後に成長した世代の日本人は、侵略された国の人々の憤りを全く理解できないという状況が起きてしまった。

松岡さんもそのような環境で育ち、関西大学文学部に入学して東洋の歴史を学んだ時に、初めて日本が中国を侵略したことを知った。

そしてその時に、戦争の真相に対する疑問や好奇心が、松岡さんの心に生まれた。

松岡さんは結婚してから10年間専業主婦をした後に、地元大阪の小学校の教師になった。

80年代半ば、松岡さんが担任を務めていたクラスにはたくさんの中国人の生徒がいた。

そして、歴史を教えていた時、教科書では南京大虐殺のことが「南京事件」と記され、「南京でたくさんの人が死んだ」と簡単に説明されているだけであることに気付いた。

歴史を専門としている彼女は良心が働き、中国人の生徒の純粋な目を直視することができなかったという。

「真相をはっきりさせ、子供たちに、『間違ったことをすれば、それを認め、改善する勇気が必要』ということを分からせる責任がある」と考えた松岡さんは88年、南京に足を運んだ。

南京で、松岡さんは大虐殺の生存者・李秀英さんに出会った。

大虐殺が起きた時、李さんは妊娠していたにもかかわらず、日本兵に強姦され、37カ所も刺された。

そして、南京鼓楼病院に運ばれ、治療を受けている時に、ある牧師が撮影した写真が南京大虐殺の動かぬ証拠となっている。

松岡さんは、「戦争は日本の軍国主義が起こしたもので、日本の一般庶民や兵士とは関係がない」と話す李さんの寛容さに愕然としたという。

また、南京大虐殺記念館で、これまでの理解とは全く異なる戦争を目にし、心に大きな衝撃を受けた。

松岡さんは中国と日本で南京大虐殺を実際に経験した人を探し、真実をあぶり出そうと決意し、これまでに中国を90回以上訪問。

南京大虐殺の被害者300人以上、加害者250人を訪ね、証言を詳しく記録した。

97年10月、被害者だけの証言では不十分と感じ、「日本人を説得するためには、被害者と加害者の証言、両方を合わせなければならない」と考えた松岡さんは日本の6都市に3日連続で、「南京大虐殺情報ホットライン」を開設した。

ホットラインを通して、松岡さんは元兵士13人の情報を得ることができた。

しかし、会うことは何度も拒否され、手土産を持っていったり、戦争の苦しさを皮切りに質問するなどして、大阪や京都にいる元兵士の誇りにさえ感じていたり、軽視したり、忘れかけていたりする戦争の記憶を少しずつ記録していった。

「見つけた日本の元兵士250人のうち、戦争を反省していたのは4人もいなかった。そのうち、最も深く反省していたのは故・松村芳治さんだった」。

松岡さんが忘れることができないのは、長年、「自分も殺人をしてしまった」と率直に語っていた松村さんが、亡くなる寸前になって初めて、「自分も中国人の女性を強姦した」と吐露したことだという。

短い言葉だったにもかかわらず、良心の呵責に襲われた松村さんはそれ以上のことを語ることはできなかった。

李さんは松岡さんに、「今でも日本人を見ると気分が悪くなる」と率直に語った。

「これが多くの中国人の日本人に対する本当の見方」と感じている松岡さんは、自分を信頼してくれる被害者を本当に大切にしている。

そして、中国語も学び、今では簡単な会話ができるようになっている。

多くの戦争被害者が少しずつ松岡さんのことを、「日本人の友人」と見なすようになってくれ、亡くなる前に、彼女のことを思い出してくれる人もいるという。

松岡さんにとって最も印象深かったのは、張秀玉さん(88)が亡くなる1カ月前、手を握りながら、「絶対に日本人に真相を伝えて」と頼まれたことだ。

近年、松岡さんが中国を訪問する回数は、1年に3回から6回に増え、調査の成果も大きくなるばかりだ。

これまで、「南京 引き裂かれた記憶」「南京の松村伍長―閉ざされた記憶を尋ねて―」など、ドキュメンタリー3作を製作し、日本語、中国語、英語の書籍や写真集6冊を刊行してきた。

来年に刊行される予定の中国語版の「南京 引き裂かれた記憶」には、英語版の22人より16人も多い38人の証言だけでなく、一層多くの写真が収められている。

松岡さんは、「私のしている事業は、歴史をはっきりさせるためだけでなく、残酷な戦争を二度と起こさないため。中国だけでなく、日本のためでもあり、両国の次の世代のため」と語る。
(提供/人民網日本語版・編集KN)

Record China 2016年9月22日(木) 22時10分


参考

肯定派からも信憑性が問われる「松岡環」
http://d.hatena.ne.jp/nay/20050923

松岡環という反日教師
http://www.tamanegiya.com/kako/matuokatamaki.html

関連

img13761_140922-01netuzou_convert_20160924160600.jpg

南京大虐殺の捏造に貢献した元朝日新聞記者、本多勝一
産経ニュース 2016.5.1 07:27

作り話の「万人坑」を事実であるかのように記述した本多勝一
産経ニュース 2016.5.6 13:30



ネットの声

4 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/09/24(土)06:06:38 ID:wrM

本当のことは中国では言えないw

安全に講演できているって事はそういう事だね


5 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:09:07 ID:NsU [1/9]
10 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 08:27:48.11 ID:O4Zc6aVzd

支那には「屠城」という言葉があり、これは城(都市)の住民を殺し尽くす大虐殺をいいます。

中国は 3000年以上に亘り、血で血を洗う戦乱を繰り返して来た。

敗残兵は、その度に相手の「食料」にされた。

その度に、敗者の歴史を根絶やしにして勝者の歴史が新たに始まるので、そこに成熟はなく、「接木の歴史」であると言える。

ゆえに中国の歴史は、4000年どころかせいぜい100年程度である。

漢族の王朝・明が滅亡後、満州人(ツングース系民族)の王朝・清 が最後の王朝になった。

そもそも中国大陸には近代まで「国」という概念はなく、皇帝は中華思想のもと自らを地上で唯一の王だと考えた。

国民党が、中国市民に対し殺人略奪レイプをしてそれを日本兵のせいにする工作は当時記事になってる。

1938年1月4日付のニューヨーク・タイムズ紙
『チャイナ・プレス』1938年1月25日
「皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る 【同盟南京二月十六日発】


被害者の数は、というのがあるが、調査方法からも下記のものが一番信用できる。

南京の金陵大学教授ルイス・C・スマイスによる戦争被害調査(『南京地区における戦争被害:1937年12月~1938年3月』)

市術地では50戸に1戸、農村部では約250世帯に1世帯を抽出し、彼が中国人助手と共に面接調査したもの

加害者を誰か問わず被害だけだしたものだが、

南京市街地での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、

さらに南京周辺部(江寧県)での暴行による死者が9160、計15,760人が民間人の被害ということでした。

南京場外については、国民党が焦土作戦をおこしたのでそれで死んだ人が多くを占める。

市街地について

南京陥落時に中国兵が略奪暴行殺人をしてたという記録がある。

拉致についても中国軍が男を労役に使うために頻繁に拉致、女も夜は拉致してたという記録がある


南京陥落の11日後

「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞 1937年12月24日(南京陥落の11日後)

日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。

調べてみてください


6 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:11:55 ID:NsU [2/9]
11 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 08:29:16.64 ID:O4Zc6aVzd

国際連盟議事録の資料としての価値

検証するにあたって、「南京大虐殺」があったとする1937年12月13日から翌38年2月までの公文書を重要な一次資料と判断して、第百会期国際連盟理事会(1938年1月26日~2月2日)の議事録を入手した。
 
その中で、顧維鈞中国代表は「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行」があったと演説し、国際連盟の「行動を要求」をしても、国際連盟は、1937年10月6日の南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のように採択しなかった。

この事実は、東京裁判での20万人や中国側が昨年まで主張していた公式見解30万人と桁が違う。
 
また、その国際連盟議事録の「2万人の虐殺」は、蒋介石軍からの報告ではなく、米国人ベイツ教授やフィッチ牧師の伝聞を記事にしたニューヨーク・タイムズなどの新聞報道に基づくものだった。

ちなみに、ベイツ教授もフィッチ牧師も単なる「第三者」ではなかったのである。
 
フィッチ牧師は、反日活動をしていた朝鮮人の金九を自宅に匿った前歴のある人物であり、ベイツ教授は中華民国政府の顧問だった。

蒋介石軍の将兵は、1938年1月になると、南京城内安全区から脱出して、蒋介石に南京城陥落に関した軍事報告をしている。
 
その時点で「戦時国際法違反」を実証できる報告を蒋介石が受けていたならば、顧維鈞中国代表は、国際連盟での演説に取り入れていたであろう。
 
顧中国代表は、「戦時国際法違反」になる事実を確認できなかった事で、「デマ」に基づく新聞記事を援用せざるを得なかった。

『南京の実相 - 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』日新報道


7 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:13:57 ID:NsU [3/9]
12 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 08:30:15.40 ID:O4Zc6aVzd

-南京戦を行った直後の徐州会戦での日本軍の活躍 -

黄河決壊事件は日中戦争初期の1938年6月に、支那国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫である。

事件当時は黄河決潰事件と表記された。支那では花?口决堤事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。

犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。


日本軍の対応

1.日本軍の2個工兵大隊と住民組織が決壊箇所の修理に当たる

2.日本軍が渡河用舟艇を200隻出して被災住民の救出に当たる

3.日本軍が嵩上げされた線路沿いに住民の避難誘導を行う。

4.冠水した地域の排水のために、日本軍は住民と協力して排水路の建設、堤防の建設に当たる。

5.陸軍航空隊が大量の土嚢袋を投下し、地上部隊が住民と協力して土嚢積み上げ作業を被災地で行う。


支那(中国)軍の対応

6.支那(中国)軍は黄河堤防決壊箇所の北岸に陣地を構築し、支那住民と協力して堤防決壊箇所の補修工事をする日本軍に激しい攻撃を仕掛けた。

支那一般住民を避難誘導する日本軍に対して支那(中国)軍便衣兵が攻撃した。


日本軍に救助された避難民は開封方面1万、朱仙鎮、通許方面5万、尉氏方面2万、その他数万であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.BB.8D.E3.81.AE.E5.AF.BE.E5.BF.9C

皇軍必死の救助作業_convert_20160924153532

以下の事件はいずれも大虐殺と呼ばれていません。

補償問題にもなって無い


  • ソ連秘密警察によるカティンの森事件:ポーランド人2万5千人を裁判無しに銃殺(文民含む)
  • 韓国軍によるベトナム戦争時の悪行:ブガツ省で3万5千人を拷問の上に皆殺し(殆ど文民)
  • 英米連合国軍による、ドレスデン大空襲:2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡
  • ソ連によるシベリア抑留中に死亡した日本人:軍民合わせて25万4千人、行方不明・推定死亡者9万3千人
  • ドイツの捕虜収容所で死亡したソ連兵320万人
  • 米軍による東京大空襲の死者10万人(1945年3月10日だけの死者数)
  • 米軍による広島原爆投下による死者23万7062人(2004年8月6日時点)
  • 米軍による長崎原爆投下による死者13万4592人(2004年8月9日時点)


カティンの森事件以下の犠牲者数を、ことさら大虐殺と強調する事は歴史的に見てもバランス感覚に欠けた主張と言えます。

ましてや文民殺害を目的としていない、若しくは文民の犠牲者が僅かな事件に関して、大虐殺と名前が付く事は非常に例外的なのです。


9 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:15:48 ID:NsU [4/9]
13 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 08:32:47.96 ID:O4Zc6aVzd

「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力 2011.6.23 (1/2)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110623/chn11062305000001-n2.htm

「『南京大虐殺』という戦時プロパガンダが行われた経緯を解明する新たな糸口になるかもしれない」。

発売中の『別冊正論』15号(「中国共産党 野望と謀略の90年」)の編集を終え、そんな期待が膨らんできました。

中国の国民党が主導したと考えられてきた「大虐殺」の宣伝に、中国共産党またはソ連が大きく関与していた可能性が、論文筆者たちの指摘で浮かび上がってきたのです。

虚実不明の「南京大虐殺」を初めて世に紹介したのは、英マンチェスター・ガーディアン紙特派員、

ティンパーリーが1938(昭和13)年に刊行した『戦争とは何か』です。

ティンパーリーは当時、国民党中央宣伝部顧問で、資金提供も受けていたことが北村稔・立命館大教授らの研究で判明しています。

同著の出版をはじめとする「大虐殺」宣伝は、世界中で反日世論を高める戦時プロパガンダだったのです。

『別冊正論』15号では、3人の筆者が、このプロパガンダへの中国共産党またはソ連の関与を示す根拠を提示しています。

「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力 2011.6.23 (2/2)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110623/chn11062305000001-n2.htm

(1)『戦争とは何か』中国版の序文を書いた有名文化人の郭沫若(かくまつじゃく)は、日中戦争勃発にあわせ、亡命先の日本から中国共産党やコミンテルン(戦前~戦中の国際共産主義運動指導組織。本部・モスクワ)の支援で極秘帰国し、戦時宣伝を担当した(中西輝政・京大教授)

(2)同著の日本語版序文を書いた青山和夫こと黒田善治という人物は、コミンテルン秘密工作員とともに中国で活動していた(近現代史研究家、長塩守旦氏)

(3)「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ソ連の大物スパイ、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった (江崎道朗・日本会議専任研究員)-。

『戦争とは何か』英語版にコミンテルンの影が見え隠れすることは、北村教授も著書 『「南京事件」の探究』で指摘しています。

「大虐殺」宣伝に国際共産主義勢力が積極的にかかわっていたとすれば、相当の規模をもった対日宣伝戦だったことを意味します。

アメリカでは近年、第二次世界大戦前後のルーズベルト政権内にソ連と通じた秘密共産党員が多数潜入して政策に影響を与えていたという実証研究が進み、共産主義の世界革命戦略が当時の情勢分析に欠かせないという見方が強まっています。

「大虐殺」宣伝もその中に位置づけられるとしたら…。

今後の検証が待たれます。


10 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:18:05 ID:NsU [5/9]
14 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 08:56:49.13 ID:O4Zc6aVzd

●支那事変1周年の蒋介石の声名 1938/7/7 漢口

《(略)戦場や、日本占領地域では、資源財産の計り知れない損失に加えて、経験豊かな数限りない青壮年、婦女子、年老いた人々が、大量殺戮、強姦、その他の無慈悲な蛮行を免れることができなかった。(略)広東を例にとろう。この町は過去2週間にわたって昼も夜も空襲を受け、数千の市民が殺された。機関銃が悪魔のように狂いまくり、家屋が粉々になり、市民の血や肉が飛び交った。(略)》

これは「友好国への声名」の中で、「日本人の残虐行為」という章の中の文言です。

後に30万人が虐殺されたと主張する南京を挙げずに、数千人の犠牲者の広東を例に挙げてます。

つまり南京大虐殺とは作られた事件なのです。


1938/7月にティンパーリの、『WHAT WAR MEANS The Japanese Terror in China』が英国で出版され。1938年末にその漢訳版『外人目撃中の日軍暴行』が支那で出版されました。

ここからプロパガンダが始まったと言っても過言ではありません。

◇上海から南京まで日本軍に追撃された中国軍に従軍していたNYタイムズのティルマン・ダーディン通信員は1989年10月号の『文芸春秋』で従軍中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことはないし、当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし聞いたことも無いと断言。

日本軍が南京に入城後も南京市民の世話をした外国人からなる南京国際安全区委員会が1939年に刊行した活動記録には、日本軍が南京入城直前の人口20万人が一ヵ月後には25万人になったことと、日本軍の非行、殺人が26件あったとある。

但し、目撃されたのは1件で合法殺人と注記されている。

(『Documents of the Nanking Safety Zone』)

145D 南京アメリカ大使館通信---エスピー報告  
1938年Vol.14 ・・・1938年1月25日 南京 (抜粋)

12月10日後の南京の状況
 
南京の陥落を前にして、中国軍と市民の脱出は引きも切らなかった。 人口のおよそ5分の4が市を脱出し、主要な部隊は武器・装備もろとも撤退していった。南京の防衛は、わずか5万の兵士に任されていた。


『南京事件資料集』アメリカ関係資料編 P239

南京戦には、内外合わせて170人前後の従軍記者がいたが、誰一人として南京で虐殺があったと記事を書いた者はいない、後になっても南京で虐殺があったとも言っていない、外国人の記者は70人程度どいたがやはり誰一人として、後ですら虐殺があったと言っている者はいない、毎日・朝日とも南京陥落時に各社7~8人の記者が南京市内に入ったが、誰一人として虐殺を見ていない。


11 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:19:33 ID:NsU [6/9]
15 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 09:00:18.14 ID:O4Zc6aVzd

「台湾政府軍事委員会政治部」から入手したとして、「日本軍は何千人もの女性を狩り立て、大多数がレイプされるか、軍用の慰安婦にさせられた」とキャプションをつけて写真を掲載した。

これと同じ写真を笠原十九司は著書『南京事件』において「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」とキャプションをつけて写真を掲載。


img13761_140922-01netuzou_convert_20160924160600.jpg

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/img/img13761_140922-01netuzou.jpg

しかしこの写真は『アサヒグラフ』昭和12年(1937年)11月10日号に掲載された「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群れ」という写真であることが秦郁彦教授により指摘された。

その結果、笠原は、中国国民政府軍事委員会政治部が、朝日新聞カメラマンが撮った写真を「悪用」もしくは「誤用」したものであったことを認め、誤用を謝罪した。

これを受け、岩波書店も同じページに「読者の皆さまへ」と題し、全面謝罪文を掲載し、別の写真に差し替えるに至った(岩波書店『図書』4月号)。

また、この写真は南京大虐殺記念館にも展示されていたが、2008年12月、信頼性乏しい写真として他の2枚の写真とともに撤去されている。

同写真は『ザ・レイプ・オブ・南京』では未だに「日本の残虐行為の写真」として掲載されている。

※中国の歴史捏造例 架空の731部隊

■済南事件で支那人に虐殺された日本人被害者の検死写真を・・・

http://sky.geocities.jp/pac_remix/honron/horrible.html

■中国の歴史教科書に、「731部隊の人体実験」として掲載!(翻訳版)
http://www.geocities.jp/oldmouse99/98.jpg

■「731部隊の人体実験」として、蝋人形にして展示
http://www.geocities.jp/oldmouse99/731_6.jpg

南京事件 人口20万人だったが「虐殺数30万人」と中国教科書
http://www.news-postseven.com/archives/20101105_5035.html

中国の教科書「731部隊」「南京百人斬り」などの捏造続行中
http://www.news-postseven.com/archives/20110104_8699.html

12 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:21:01 ID:NsU [7/9]
16 名無しさん@13周年 2016/09/22(木) 09:03:06.50 ID:O4Zc6aVzd

●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
  • 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
  • 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
  • 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
  • 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
  • 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
  • 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
  • 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
  • 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
  • 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し


その他

秦賢助(従軍作家)、今井正剛(朝日新聞記者)、本多勝一(朝日新聞記者) 、鈴木二郎(東京日々新聞記者) 、石川達三(作家) 、アイリス・チャン(作家・政治活動家)ティンパーリ(マンチェスター・ガーディアン中国特派員:国民党中央宣伝部顧問)、中帰連

●捏造が確認されている史料・報道

紅卍字会埋葬記録(人数水増し)、崇善堂埋葬記録(全くの捏造)、朝日新聞「宇和田日記」報道


8 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/09/24(土)06:14:02 ID:UeR [1/3]

「南京大虐殺」の原点って、本多勝一の本だろう
あれって、中国人の言い分を、直訳しただけの本だよな

つまり、中国人・中国政府の主張を本にしただけ
何らかの検証をしたわけではない

「慰安婦」と同じレベル


13 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)06:30:19 ID:NsU [8/9]

松岡 環(まつおか たまき、1947年 - )は、日本の社会運動家・映画監督。南京大虐殺60ヵ年全国連絡会共同代表。

南京事件の研究者として、日中戦争における日本の戦争犯罪を訴える活動を行っている。

中国では「日本の良心」と呼ばれる[3]。

東中野修道と阿羅健一らの南京大虐殺否定派は、証言がすべて匿名や仮名であり第三者の検証ができないことや、証言の不自然なことなどを批判した[4]。一方、本多勝一と小野賢二ら虐殺肯定派も、これほど間違いの多い本も珍しいなどと批判した[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E7%92%B0

本多勝一に突っ込まれてる時点で終わってる


14 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/09/24(土)06:32:28 ID:UeR [2/3]
>>13
>本多勝一と小野賢二ら虐殺肯定派も、これほど間違いの多い本も珍しいなどと批判した


つまり、松岡 環は中国人の妄想に燃料投下する馬鹿ってことでOK?


18 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)07:41:13 ID:NsU [9/9]
>>14
植村隆の記事を吉田清治が突っ込んでいる様なもんだから、それで桶



20 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/09/24(土)08:27:39 ID:DNo

まだまだ死ぬべき国賊が多いな

27 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)10:56:11 ID:QWn

反日プロパガンダの嘘否定するのが正しい歴史事実を尊重する事

29 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)13:43:05 ID:5pw [1/2]

>「実際の経験者の多くが亡くなっている」ため、「行動が一番貴重」とばかりに、日本の中国侵略戦争の加害者と被害者の証言を急いで集めている。

「実際の経験者の多くが亡くなっている」ため、「今がチャンスとばかりに」とばかりに、反日捏造プロパガンダを急いで広めている。


30 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/09/24(土)13:51:13 ID:5pw [2/2]

松岡 環著「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて」の内実
このようにして「反日の歴史」はつくられる

http://d.hatena.ne.jp/nay/20050923

「味方の研究者」から「本そのものの信憑性が問われるのはまちがいない」と断言される代物を、「ニュースステーション」は真実として放送したのである。

さらに信じられない報道がなされた。

このようにして「反日の歴史」が創造されるのだ。

当時、歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平さんは、歩兵33連隊の生き字引とも言われ、野田連隊長をも、天野中隊長をも知っていて、戦後になって書かれた「歩兵第33連隊史」の刊行では中心的な役割を果たした。

その市川さんが、この本をこう語る。

「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。

まともな話をする人には行かないようです。

確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」

「正論」平成14(2002)年11月号 阿羅健一著
「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ




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