07月 « 2017年08月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  » 09月

スポンサーサイト

--年 --月--日 --:-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

作り話の「万人坑」を事実であるかのように記述した本多勝一

2016年 05月07日 16:06 (土)

元スレ おーぷん2ちゃんねる

1 名前:◆qQDmM1OH5Q46[sage] 投稿日:2016/05/04(水)11:46:06 ID:???

【歴史戦 南京が顕彰した男(下)】

朝日記事万人坑」はなかったという指摘に

本多勝一氏はこう返答した…

中国の主張を代弁しただけ




昭和史を研究してきた田辺敏雄は「中国の旅」を執筆した元朝日新聞記者、本多勝一とその連載記事を単行本、文庫本として刊行した朝日新聞社に憤る一人だ。

無題

朝日新聞は数多くあったはずの抗議や反論を軽んじ、『中国の旅』に実名で書かれた人々の名誉を傷つけ、日本人に大虐殺のぬれぎぬを着せた

田辺がここで言う「大虐殺」とは南京事件のことではない。

本多が連載の前半で大きく取り上げた「万人坑」のことを指す。


本多は昭和46年6月下旬から7月はじめにかけて中国東北地方で取材した内容を4部構成の連載の前半で報告した。

万人坑」は第2部のタイトルとなっている。

万人坑とは、虐殺された中国人の死体を集めて、何千人、あるいは万単位で埋めた巨大な『ヒト捨て場』である」(46年9月13日付朝日夕刊

中国の、とくに東北地方には、鉱山や大工事現場に、必ず万人坑ができました。何千人、何万人という中国人の死体の丘です」(同10月6日付夕刊)

本多勝一

戦時中、旧満州の日本企業の鉱山や大規模工事現場では過酷な労働で「使い殺され」た中国人労働者の遺体や「消耗して動けなく」なった労働者を生きたまま、万単位で埋める「ヒト捨て場」が「必ず」あり、それが「万人坑」だと本多は伝えたのだ。



連載では、南満州鉄道株式会社が経営していた撫順炭坑(遼寧省撫順)と南満州鉱業株式会社(南満鉱業)のマグネサイト鉱山(同省大石橋)が取り上げられた。

「万人坑」は撫順に30カ所以上、大石橋には3カ所と報告されている。

本多はこう解説する。

仮に一日平均二十人が“消耗”されるとしよう。百日で二千人、一年間で七千三百人に達する。『万人坑』という言葉のように、ひとつの万人坑を一万人とすれば、この大石橋にある三つの万人坑(三万人)ができるまでに、ほぼ四年あればよい」(同10月11日付夕刊)

kosekiko-kinenkan.jpg
(画像出典「万人坑 ― 国家ぐるみの大ウソ ( 脱・洗脳史講座 )」 

大石橋の「万人坑」の一つ「虎石溝万人坑」。

現地で「階級闘争を決して忘れるな」と正面に書かれた入り口を通過し、白骨死体の「厚い層」を見た本多は、感想をこう書き記した。

kosekiko-3.jpg
(画像出典「万人坑 ― 国家ぐるみの大ウソ ( 脱・洗脳史講座 )」 

「私はまだ、ナチがやったアウシュビッツ殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人坑のような恐ろしい光景は、生涯で初めてだった」

白骨死体の写真も朝日の紙面に掲載された。



「万人坑」に強い疑問を抱いた田辺は調査を始めた。

旧撫順炭坑、旧南満鉱業の関係者らにアンケートを送付。

回答した約60人と面会するなどしたところ、全調査対象者が次のように答えた。

万人坑を見たことがない

「万人坑という言葉も知らなかった」


田辺は平成2年、雑誌「正論」(8月号)で「万人坑はなかった」とする調査結果を発表した。

これに本多は「少数のアンケートで断定するのはおかしい」と反論した。

双方の主張の食い違いを受け、旧撫順炭坑関係者らでつくる東京撫順会は約1000人の全会員にアンケートを送付した。

469人から得た回答を精査し、同会は「強制労働による犠牲者の“人捨て場”としての万人坑がなかったことははっきりした」と結論づけた。


旧南満鉱業の幹部らは連載当時に朝日に「万人坑は事実無根だ」と記事取り消しを求めていた。

だが、「門前払い」だったという。

本多にも撫順炭坑で電気技師をしていた久野健太郎が手紙を送って抗議した。

本多は昭和61年3月、久野にこんな返信を寄せた。

私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか

連載当時は多くの人が存命だったはずだが、本多朝日が日本側関係者を取材した形跡は見当たらない。



田辺の問題提起をきっかけに「万人坑」は改めて関心を集める。

元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」連載から約20年後のことだった。

中国人労働者を使い捨て、死なせたとの汚名を着せられた当時の関係者らも再び動き出した。

平成3年4月、東京撫順会は朝日新聞に記事の取り消しを申し入れた。

万人坑は作り話、あるいは著しく事実と相違したものを、事実であるかのように記述してある

本多記者は『中国側の言うのをそのまま代弁しただけ』ともいうが、このまま放置すれば、作り話などが『歴史的事実』として確定してしまう

すでに『大百科事典』(平凡社、昭和60年版)のように本多の「中国の旅」に依拠して「万人坑」を記載した事典が現れていた。



南満鉱業社友会も続いた。

平成3年4月、本多の記事は「とんでもない虚報」「事実であるがごとき報道をされたままでは、同僚に対して、また国民に対し申し訳がたたない」として、朝日に「万人坑」報道の関連部分の削除や単行本、文庫本『中国の旅』の廃刊、回収を求めた。

中国の旅

朝日は要求には応じず、3年6月、読者広報室長名で両団体に書面でそれぞれこんな回答を寄せた。

万人坑については、本多を含め私どもといたしましても、さらに調査を進める必要があると以前から考えています。(中略)この際、東京撫順会の方とも共同で調査出来れば幸いと存じます」(東京撫順会に)

本多は『万人坑』など当時の聞き書きについて、こんどは『』ではなく、改めて精密な現地取材をすることを考えております」(南満鉱業社友会に)

産経新聞は朝日新聞広報部と本多に対し、その後、取材したかただした。

本多は回答しなかった。

朝日は「古い話であり、現時点では回答できることはありません」とした。

裏付け取材もないまま一方の主張のみを報じ、反論に対しては真摯(しんし)に向き合おうとしない。

朝日新聞

韓国・済州島で女性狩りをしたという吉田清治の虚偽証言の関連記事をはじめとする慰安婦報道では、こうした朝日の姿勢が厳しく批判された。

植村隆

数々の疑問や反証から耳目をそらし、長年非を認めずに虚偽を広め続けたからだ。

yoshida.jpg

吉田の虚偽証言について、いまでは政府さえも「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本と韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」との見解を示すようになった。

本多と同世代の元朝日新聞記者でジャーナリストの長谷川●(熈のノを取り、巳が己)はこう慨嘆する。

長谷川熙

批判や反論を踏まえず、日本側関係者の取材もしないのは新聞ではない。単なるアジビラだ。慰安婦問題での病理は、前段階として『中国の旅』の連載時にすでにあった

昭和46年10月6日付の朝日夕刊に掲載された「中国の旅」第2部「万人坑」の初回記事。

本多は第1部の連載に非難や疑問が寄せられたことを紹介した上で「代表的な疑問に、まず答えたいと思います。まず、『今さら、あんなことを掘りかえすなんて』という場合の『今さら』について」と切り出した。

 「『今さら』と、この問題にふれまいとする態度は、日本を見つめるアジア諸国に、不信と警戒の色をますます強めさせるだけでなく、『今さら』と考えること自身がみずからの目をおおって、今こそやるべき問題をやらずに逃げていることの現れかもしれません」

今回、40年以上前の連載に対する産経新聞の問題提起に本多や朝日はあるいは「今さら」と思ったかもしれない。

だが、中国の旅」によってゆがめられた歴史の再検証は、朝日慰安婦問題をめぐる過去の虚偽報道をようやく認めた「今こそやるべき問題」ではないか。
(敬称略)



 この企画は阿比留瑠比、有元隆志、河崎真澄、田北真樹子、田中一世、原川貴郎が担当しました。

産経ニュース 2016.5.6 13:30


関連記事

【歴史戦 南京が顕彰した男(中)】

なぜ中国は「南京大虐殺」を記憶遺産に登録しながら

証拠開示を拒むのか? 

「中国の旅」の影響なお


無題

■「朝日記者著書は必読の教材」



国連教育科学文化機関(ユネスコ)は昨年10月、中国提出の「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した。

「大虐殺」を示す文書や写真などで構成されているとされるが詳細は明らかになっていない。


中国が公開を拒んでいるためだ。

外務省の国際文化交流審議官、下川眞樹太は4月28日、自民党の部会で中国側が「技術的な問題」を理由に、登録資料の大半の閲覧を拒んでいると説明した。

登録資料は中国国内の公文書館などに保存されている。

外務省が一部施設で資料を確認した後、2月に検証を進めようとしたところ、態度を急変させたという。

このため、日本政府はいまだ登録資料の真贋(しんがん)性を検証できていない。

出席議員からは「都合が悪いから見せないのではないか」との意見も出た。

証拠”であるはずの資料を中国がひた隠しにする「南京大虐殺」だが、今の日本の教科書には「事実」として掲載されている。


                
日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件

今年度から筑波大付属駒場中や灘中など最難関校を含め、30以上の国立、私立中で使用される「学び舎」(東京)の中学校用歴史教科書の記述だ。

東京書籍の中学歴史教科書も「女性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と記載し、「『南京大虐殺』とも呼ばれます」と注釈を付けた。

「南京事件」は戦後、一貫して歴史教科書に記載され続けてきたわけではない。

東京書籍の中学歴史教科書の場合、昭和53年度用(52年検定済み)から「南京虐殺」の文字が登場した。

犠牲者数はこの時点では「おびただしい数」とあったが、その後、「20万以上ともいわれる」「中国では(中略)30万以上とみている」(59年度用)と記されるようになる。

南京事件が初めて教科書に登場したのは、昭和49年度の中学校の検定の際であった

「以後、他社の教科書にも同様の記述が見えるようになり、次いで高等学校の日本史教科書にも及ぶようになっていった」

文部省(現文部科学省)で教科書調査官を務めた時野谷滋は自著でこう述懐している。

49年は元朝日新聞記者、本多勝一による「中国の旅」の連載の3年後、ベストセラーとなった単行本出版の2年後に当たる。

歴史教科書における南京事件の記述を調べた明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次は解説する。

「教科書の執筆から検定までに通常1、2年かかることからすると、49年に突如、南京事件が教科書に登場したのは、朝日新聞が連載した『中国の旅』の影響なしには考えられない



もっと明確な形で「中国の旅」の影響を受けたのは、教科書に合わせた教師用指導書だった。

例えば実教出版の教科書「高校日本史」用の指導書(61年検定済み教科書用)は、本多の著作をこう強く推薦する。

中国での日本軍の残虐行為は本多勝一著『中国の旅』『中国の日本軍』が必読文献。とくに後者の写真は良い教材となる

『中国の日本軍』とは『中国の旅』の姉妹編で旧日本軍による「残虐行為」とした写真を多数、掲載している。腹部が裂け内臓が見える女性の遺体や焼け焦げた遺体など思わず目を背けたくなる写真ばかりだが、そこにも中国のプロパガンダ(政治宣伝)の影響が色濃くうかがえる。

兵士が保護→婦女子狩り/鶏を購入→略奪…中国が朝日写真悪用しうのみ

元朝日新聞記者、本多勝一の著書『中国の日本軍』(昭和47年)には、小銃を肩に担いだ軍服姿の男性らとともに、橋を渡る女性や子供たちの一群の写真が掲載されている。

o0617040511823769268_convert_20120710134429.jpg

説明文はこう断言している。

婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦(ごうかん)や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ

だが、この写真は12年11月発行の「アサヒグラフ」が掲載した「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」であることが後に判明した。


鶏2羽を肩から提げて笑顔を見せる日本兵の写真も同様だ。

fumi_49_nanking_4.jpg

説明文には「ヤギや鶏などの家畜は、すべて戦利品として略奪された」とある。

これももとは12年12月5日発行の「支那事変画報」(週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊)の掲載写真で実際は代価を払って鶏を購入していた。



2枚の写真には共通項がある。

ともに1938(昭和13)年に中国で発行された『日寇暴行実録』に収録されていることだ。

日寇-』は日本軍がいかに凶悪かを内外にアピールするため、蒋介石がトップの国民政府軍事委員会がまとめた戦時プロパガンダ(政治宣伝)本である。

2枚の写真は日本の雑誌から無断使用され、『日寇-』に転載された段階で、キャプションが捏造(ねつぞう)された。

中国の旅』も『日寇-』が使用したのと同じ写真を多数、掲載している。

このようなずさんで誤った内容であったにもかかわらず、教師用指導書で強く推薦されたことから、本多の著書を使用した教員も少なくなかったとみられる。

中国の戦時プロパガンダは朝日新聞を介して日本に広まり、青少年の教育現場に浸透していった。



三省堂発行の高校日本史の教師用指導書(平成元年3月初版)は「追加史料 南京大虐殺の証言」として、本多の『中国の旅』から機関銃による住民10万人の殺害などを語った姜根福の証言などを引用している。

「解説」欄では、「(旧日本軍の)2人の将校の間で、どちらが先に中国人を100人殺せるかという殺人競争」と書き、いわゆる「百人斬り」を「史実」として紹介した。

本多が語った話としてこう報じていた。

「AとBの二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……」

「結果はAが八十九人、Bが七十八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約十五キロの間に、もう一度百人を殺せ、と」

姜自身も示唆しているがこれは戦時中に東京日日新聞(毎日新聞の前身)が報じた記事を基にしている。

東京日日で2人の少尉の撮影に携わった元カメラマン自身が「あり得ない話だ」と否定している話である。


毎日新聞自体も元年に発行した「昭和史全記録」で、「この記事の百人斬りは事実無根だった」とかつての自社報道を否定するなど、戦意高揚のための創作記事だったことが通説になっている。

ところが、「中国の旅」の影響で、この虚構が学校の教室では「歴史的事実」とされてきた。

最近では24年に富山県で行われた日教組の教育研究全国集会で、百人斬りを題材にしたこんな「平和学習」の教育実践が報告されている。

「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」

「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」

百人斬り_convert_20160507150804

百人斬りの新聞記事や写真を用いた授業を受けた生徒らは、「中国人は日本からされたことを許せないと思う」「つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」などの感想を述べていた。

朝日新聞が26年に設置した慰安婦報道検証のための第三者委員会では、慰安婦狩りを偽証した吉田清治に関する報道と類似したケースとして、百人斬りがこう取り上げられている。

「戦争中の兵士が、勝手に行動できるのか、『審判』のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった」

朝日報道を「事実」と認識して引きずられ、ゆがんだ歴史観を教えた教師も、教えられた生徒も被害者だといえないか。
(敬称略)

産経ニュース 2016.5.2 13:00
関連スレ おーぷん2ちゃんねる 


ネットの声

2 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2016/05/04(水)12:50:12 ID:o6Z

本多勝一

嘘つきの上に責任逃れも酷い

6 名前:名無しさん@おーぷん [] 投稿日:2016/05/04(水)17:14:25 ID:j6k

万人坑は文革の虐殺がモトネタ

china_pict2_convert_20160507155701.jpg

china_pict3_convert_20160507155809.jpg



11 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/05/04(水)19:20:07 ID:7d4

正しい歴史事実を尊重するなら
反日プロパガンダの嘘とそれに基づく冤罪は否定するのが当然だよね


15 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2016/05/05(木)10:38:35 ID:23h

朝日新聞

俺の頭の中で朝日新聞とはもう

悪の組織そのものだ。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。