05月 « 2017年06月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  » 07月

スポンサーサイト

--年 --月--日 --:-- (--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

高村正彦副総裁「憲法の番人は最高裁判所であり、憲法学者ではない」

2015年 06月13日 12:32 (土)

元スレ おーぷん2ちゃんねる

1 名前:忍法帖【Lv=32,ゴールドマン,2wB】 6564億円◆o8vqQW81IE[] 投稿日:2015/06/12(金)22:20:04 ID:???

高村正彦副総裁

憲法の番人は最高裁判所であり、憲法学者ではない




 現在国会で審議をしている平和安全法制の中に、集団的自衛権の行使容認というものがありますが、これについて、憲法違反である、立憲主義に反するという主張があります。

 これに対して、昭和三十四年のいわゆる砂川判決で示された法理を踏まえながら、私の考え方を申し述べたいと思います。

 憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であります。

 言いかえれば、この法理を超えた解釈はできないということであります。

 砂川判決は、憲法前文の平和的生存権を引いた上で、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と言っております。

 しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。

 ここが大きなポイントであります。

 個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。

 当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。

 しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。

 そして、その上で、砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります。

 安全保障について、実際に、どのような方針のもと、どのような政策をとり、それを具体化していくかは、内閣と国会の責任で取り進めていくものなのであります。

 確かに、昭和四十七年の政府見解、そしてその後の政府見解などでは、その時々の安全保障環境に当てはめて、集団的自衛権の行使は必要な自衛の措置に入らない、これを行使することはできないとしています。

 しかし、安全保障環境が大きく変化している中で、必要な自衛の措置に当たるものにどういうものがあるかについては、国民の命と平和な暮らしを預かる政府、国会として不断に検討していく必要があります。

 例えば、朝鮮半島で有事があったとします。

 我が国に対する武力攻撃は発生していないものの、我が国のために活動する米軍艦艇が攻撃されることはあり得ます。

 現行法では、我が国に対する攻撃がない限り、すぐ近くで攻撃を受けている米艦を助けることはできません。

 このような場合に、我が国として何もできないままでいいはずがありません。


 他国に対する武力攻撃を契機とするものであっても、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態は生じ得るのです。

 国民の命、平和な暮らしを守り抜くためには、このような事態に対応できるようにしなければなりません。


 果たして、憲法解釈の変更は全く許されないのでしょうか。

 今まで政府が集団的自衛権はだめと言ってきたのだからだめだと言う方がいます。

 しかし、私が今挙げたような例が日本の国の存立を全うするために必要最小限度でないと思っているのか、あるいは必要最小限度であったとしても、集団的自衛権と名前がついていればだめだとおっしゃっているのか、私にはわかりません。

 少なくとも、憲法の番人である最高裁判所は、憲法九条にもかかわらず、必要な自衛の措置はとり得ると言っています。

 何が必要かは時代によって変化していくのは当然であります。

 実際の政策は、憲法の番人たる最高裁判所の判決で示した法理のもと、内閣と国会に委ねられているわけですから、過去の安全保障環境を前提にした当てはめ部分にまで過度に縛られる必要はないわけであります。

 何も、政府が必要なプロセスを踏まないで暴走しているわけではありません。

 閣議決定によって内閣で意思を統一して、国会に法案を提出して、十分に審議する、そして法律ができれば、それに従って政策を実行する、これはプロセスとして最も正当かつ真っ当なものであります。

 したがって、立憲主義に反するという批判は全く的を射ないものであります。

 このことを否定することこそ、まさに立憲主義の否定であり、三権分立の否定にほかなりません。

 ところで、先日の憲法審査会における参考人の三名の憲法学者のうち、一人として砂川判決に言及した方はいらっしゃいませんでした。

 したがって、砂川判決の法理を否定しているのか、この法理の枠外にあると言っているのか、判然としません。

 憲法調査会の場でおのおのの考えを自由に述べていただくことは結構なことであります。

 私たちとしても、自分たちと異なる意見を持つ方々も尊重します。

 その一方で、私たちは、憲法を遵守する義務があり、憲法の番人である最高裁判決で示された法理に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、自衛のための必要な措置が何であるかについて考え抜く責務があります。

 これを行うのは、憲法学者でなく、我々のような政治家なのです。

 一九五四年に自衛隊をつくったときにも、ほとんどの憲法学者は憲法違反だと主張していました。

 憲法学者は、どうしても憲法九条の条文そのものにこだわることがあると思いますが、先達は、憲法選定権者である日本国民が、侵略されて座して死を待つというようなことをみずから憲法に決めるはずがないという大きな常識に基づいて、自衛隊をつくったのであります。

 憲法学者の言うとおりにしていたら、今も自衛隊はありません、日米安全保障条約もありません。

 そして、先達の大きな常識のおかげで、自衛隊や日米安全保障条約が抑止力として働いて、平和と安全を維持してきたのであります。

 三名の参考人が主張されたように、昨年七月の閣議決定と、それに基づく平和安全法制の整備は違憲であるとの意見があります。

 しかし、先般の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化を踏まえて、砂川判決の法理のもとに、かつ、これまでの憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意して、昭和四十七年見解などの従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理、法理の枠内で、合理的な当てはめの帰結を導いたのであります。

 これまで、その時々の安全保障環境に基づき当てはめを行った結果、集団的自衛権は十把一からげに、認められません、必要な自衛の措置に当たりませんとしてきたものを、集団的自衛権の行使にもいろいろあって、必要な自衛の措置に当たらないものもあれば、一部当たるものもあると言っているだけであります。

 武力の行使は、国際法上、集団的自衛権の行使に該当するもののうち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置に限られます。

 これは、基本的論理を維持した上で、それぞれの安全保障環境のもとでの当てはめの違いだけであります。

 したがって、合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的憲法解釈の変更ではなく、違憲であるという批判は全く当たらないということを改めて強調したいと思います。

 憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではありません。

 もしそれを否定する人がいるとしたら、そんな人はいないと思いますが、憲法八十一条に反し、立憲主義をないがしろにするものであることを申し添えたいと思います。

終わります。


自民党 衆議院憲法審査会 平成27年6月11日



砂川事件

 1957年7月8日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件を指す。


第一審(判決)

 東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。

 したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)ことで注目された(伊達判決)。これに対し、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告している。



最高裁判所判決

 最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、同年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)。

以上、ウィキペディアより一部抜粋


追加資料

憲法9条と芦田修正

 戦後まもなく、衆議院帝国憲法改正小委員会の憲法改正草案の審議において、「芦田修正」と呼ばれる修正が行われた。この修正は芦田の試案などが重要なたたき台となっており、芦田の意図なども含め、後の憲法論議における重要な論点となっている。

芦田修正について

修正前

第9条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては永久にこれを抛棄する。

修正後

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

陸海空軍その他の戦力の保持は許されない。国の交戦権は認められない。



※ 自衛権を永久放棄するとは一言も書いていない。

つまり、この修正が認められた事こそが自衛隊は合憲の根拠となっているのである。

(以上、ウィキペディア「芦田均」「芦田修正について」より要約)


関連記事

安保法案が憲法違反なら憲法を改正するしかない



 国会の憲法審査会で自民党の推薦した長谷部恭男氏(早稲田大学教授)が「安保法案は憲法違反だ」と発言したことで、法案の今国会成立が危うくなってきた。

 普通は与党推薦の参考人が与党の法案に反対することは考えられないが、これは依頼した自民党が悪い。

 長谷部氏は以前から、早稲田大学のウェブサイトなどで「集団的自衛権は、日本を防衛するための必要最小限度の実力の行使とは言えないため、憲法の認めるところではない」という立場に賛成しており、与党の参考人となりえないことは明白だった。

 これまで長谷部氏は自衛隊については「解釈改憲」を容認する立場で、特定秘密保護法にも賛成したので、自民党は味方だと思ったのだろうが、彼はすでに学問的に違憲とする見解を表明していたので、それと矛盾する意見はいえない。

 普通は参考人を依頼されたとき「私は反対だけどいいんですか」ときくと思うが、あえて問題提起しようと考えたのだろう。

 厳密な法律論でいえば、安保法制ばかりでなく、自衛隊も日米安保条約も憲法違反である。

 憲法第9条第2項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書いている。

 政府見解では、自衛隊は戦力ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」ということになっているが、戦車や戦闘機が戦力ではないなら何なのか。

 さらに第9条第2項は「国の交戦権は、これを認めない」と書いているので、自衛隊は存在が許されても交戦できない。安保条約については、1959年の砂川事件判決で最高裁が合憲という判断を出したが、自衛隊の合憲性については確定判決が出ていない。

 長谷部氏は解釈改憲をすべて否定する立場ではない。

 靖国神社参拝のように憲法に規定のない行為を合憲と解釈することはありうるが、「はっきり違憲だとされてきたものが、条件を付ければ合憲になるという主張は、およそ理解ができません」という。

 憲法学者がこう判断するのは当然だが、政治は憲法学の研究とは違う。

 憲法学者の主張を政府が忠実に実行すると、自衛隊を解散し、安保条約も破棄して、日本からすべての軍事基地を撤去しなければならない。

 中国が南シナ海で拠点を構築し、朝鮮半島も不安定化する中で、丸裸で国民の安全を守ることができるのか。


 今まで自民党はこの矛盾を曖昧にして、解釈改憲で自衛隊と日米同盟を増強してきたが、ここにきてその限界がみえた。

 憲法は手段であって目的ではない。

 国民の安全を守るために安保法制が必要なら立法すべきだし、それが憲法違反だというなら憲法を改正するしかない。

 これ以上、曖昧な解釈改憲で憲法を空文化することはやめるべきだ。

 「押しつけ憲法」か「人類の平和の理念」かとかいった神学論争を国会で繰り返すのはもうたくさんだ。

 日本と同じように敗戦で軍を無力化され、暫定的な「基本法」しか制定できなかったドイツは、その後58回も基本法を改正した。

 政府は法案をいったん撤回し、憲法第9条第2項を削除する憲法改正案と一緒に「憲法改正が否決されたら自衛隊は解散し、安保条約も破棄する」という法案を出してはどうだろうか。

 憲法改正案が否決されたら、小泉首相のように衆議院を解散して「国民の安全と憲法のどっちが大事か」と信を問えばいい。


 それが「戦後レジームの清算」の第一歩である。


ニューズウィーク日本版 池田信夫 2015年06月11日(木)14時49分
関連スレ おーぷん2ちゃんねる


ネットの声

6 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/06/12(金)22:40:41 ID:9Ad

まあ、そうね
んで最高裁は高度に政治的な決定については違憲とは言わないから
国家の存立に関わる法案については違憲と言わないだろね



8 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2015/06/12(金)22:57:03 ID:jms
>>6
そもそも国家の存立を決めるような重大な政治判断を少数の裁判官がおこなうことがおかしいんだよね
裁判官は国民に選ばれた代表者ではないのだから、そんなことになったら国民主権を無視した独裁ってことになる
だからこそ統治行為として司法の範囲外だとしたわけだ



14 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2015/06/13(土)02:49:41 ID:fpb

「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」

その通りだが中東等での日本の存立も危うくなるであろう時のアメリカ軍防衛の為の行為規定が分かりにくいな。

日本周辺では問答無用だが。

もし憲法学者がうまく理念を解釈、考えられないなら、憲法改正議論も後追いで進めるべし。




スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。