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韓国の反基地団体も参加する辺野古「テント村」

2014年 11月23日 11:43 (日)

元スレ おーぷん2ちゃんねる

ハンギョレ

韓国の反基地団体も参加する辺野古「テント村」米軍基地移転反対の座り込み、
翁長沖縄県知事に繋がった


1 名前:雨宮◆3.yw7TdDMs[sage] 投稿日:2014/11/20(木)02:08:51 ID:Y4mTrfWdy

[現地ルポ]

辺野古「テント村」で米軍基地移転反対の座り込みは続く




猛暑の中でも3863日連座座り込み
海の地質を調査する艦艇と漁民たちは毎日海上で衝突
老人たちはキャンプ正門前の路上で「大浦湾を守ろう」と踊りながら叫ぶ



「あそこに拳のような岩が見えるでしょう。あそこがV字形の滑走路が始まる場所です」

 15日、沖縄の中心都市那覇から56号国道を北上した車は、1時間半程度走って島の北東側海岸である名護市辺野古に到着した。

 11月の沖縄の太陽はまだ熱く、目の前の海はゆったりと波打ち、やわらかい青い光を放っていた。

 辺野古海岸で最も目立つ構造物は、静かな田舎の漁村の風景を侵している米軍基地の鉄条網だった。

 鉄条網の向こう側は、米海兵隊基地「キャンプ シュワブ」、そこから200メートルほど離れたところに沖縄米軍基地反対運動の中心である「沖縄テント」が立っている。

 在日米軍普天間飛行場の辺野古移転を阻止するためのテント座り込みが15日現在で3863日間続いてきたことを知らせる表示板がテントの前に立っている。

 座込み場で会った安次富浩 辺野古テント村村長(68)は、目の前に広がる風景を細かく説明した。

「あっちの海の上に突きだした岩から遠くのオレンジ色の2階建ての建物側に、長さ1800メートルの滑走路が作られます。
海側でところどころに浮かんでいる船は接近禁止区域であることを知らせる(日本の)海上保安庁の艦艇でしょう。
ここでは毎日、漁民と海上保安庁との衝突が続いています。”

 日本政府は今年の春から海岸埋立てのための海中地質調査を始めた。

 しかし住民たちの抵抗と台風の影響で日程が遅れている。

 沖縄を強打した相次ぐ台風で、政府が海上境界を示すために浮かべただいだい色の浮漂が切れて、こんがらがっている姿が目についた。

 辺野古を巡る住民たちの闘争が始まったのは1997年末から1998年初めに遡る。

 1996年12月、米日政府は沖縄米軍基地に対する怒れる民心をなだめるために「沖縄に対する米日特別行動委員会」(SACO)を作り、米海兵隊普天間飛行場など11の基地を返還するという報告書を出した。

 報告書が出た後、米日政府が飛行場を国外ではなく沖縄県の辺野古海岸に移転するという計画が知らされる。

 基地反対運動に参加してきた東恩納琢磨 名護市議員(52)は「基地移転を阻止するために名護市民は市次元の住民投票を行うと同時に、工事を阻止するための連座座り込みを始めた」と話した。

 法的効力があるわけではないが、1997年12月の住民投票で住民たちは政府の経済支援策などを拒否して「基地移転反対」(52.8%)を選択した。

 賛成派市長は結局辞退せざるをえなかった。

 今日も住民たちの連座闘争は飽くことなく続いている。

 辺野古の老人たちは40度を越える沖縄の猛暑の中でも座り込みをやめようとしなかった。

 この過程で豊見山雅裕 沖縄・韓国民衆連帯代表(60)は疲労骨折で片足が使えなくなり、警察との小競合いの末に連行された市民の数は数え切れない。

 テントでは済州島の江汀(カンジョン)マウル海軍基地建設計画に反対する“守り人”カン・ドンソク氏(26)にも会うことができた。

 現在までに知らされた辺野古基地造成計画では、米日政府はV字形の長さ1800メートル滑走路2本の他にも、水深が深い大浦湾側に長さ271.8メートルの接岸施設も作る計画だ。

 この規模であれば米軍の大型上陸艦が接岸できる。

 米国は普天間飛行場に配置されている米海兵隊の新型輸送機オスプレイ(MV-22)をこちらに移した後、港湾施設を活用して陸海空の合同作戦を準備できる複合基地として使おうとしていると見られる。

 午後3時、キャンプ シュワブの正門側にある別のテントで住民たちの抗議デモが始まった。

 「米軍基地反対」「大浦湾を守ろう」「珊瑚を守ろう」「ジュゴンを守ろう」。

 沖縄のおばあさんがキャンプの正門前を通る392号道路に立ち並んで踊りスローガンを叫んだ。

 通りがかりの車が警笛を鳴らしてデモ隊に手を振った。

 このような沖縄の民心は16日に行われた沖縄県知事選挙で「米軍基地反対」を掲げた翁長雄志候補(67)の当選につながった。


韓国ハンギョレ新聞社 キル・ユンヒョン特派員 2014/11/17 20:19 


参考資料

オスプレイが沖縄を守る  売国奴・反日プロ市民に騙されるな



「戦っている相手は沖縄のメディア」小池元防衛相
朝日新聞デジタル 2013年3月26日20時20分


沖縄の現状がよく分かる動画










ネットの声

6 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/11/20(木)07:48:55 ID:PHPT5Hhcl

県外の人間が多いとは聞いていたが、

まさか外国人も多かったとは。


7 名前:酔いどれキーボード[] 投稿日:2014/11/20(木)08:01:49 ID:757UWgvWo

朝鮮人のテロ活動を堂々と宣言してるんか

逮捕じゃなくて殲滅してもいいのねw


8 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/11/20(木)08:54:55 ID:wu8YsWf2P

あれ?

外人のデモは禁止されてるはず。


15 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:2014/11/20(木)12:29:27 ID:I9CQDMvi4

韓国の半キチ団体って、

バラしちゃっていいのか。


16 名前:忍法帖【Lv=80,スカルゴン】◆DkNUg5.mE2DX[sage] 投稿日:2014/11/20(木)12:32:25 ID:wkaSiiquC [1/4]

本国からも来てたのか・・・

コレは韓国はテロ国家として認定せざるを得ないな。


18 名前:国交断絶◆3ZXKxJK8rg[] 投稿日:2014/11/20(木)13:00:40 ID:vwjNhfmSv [1/4]

憲法を守れ

外人のデモは速逮捕だぞ


26 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/11/20(木)14:24:42 ID:gT6rcL3Zg

関係ない他県から雇われて来て、
違法な(フェンスは米軍の所有物)反対垂れ幕に米軍兵士への罵詈雑言の限り、
器物破損罪に不法投棄、
傷害罪に不法占拠・不法侵入 etc…

一番ひどいのは、反対ポスターにガラスの破片が入ってたことと、
オスプレイ反対凧かな
意図的でもない限りはガラスの破片が大量に入ることは有り得ない
凧で墜落したら企画した奴、飛ばした奴はどう責任を取るんだ?
政府に散々『オスプレイは墜落するから嫌だ』と言っておいて、基地では墜落させようと凧を飛ばす

『狂ってる(それが、あの亡国スタンダートかも)、人間のすることじゃない(人間じゃないかも)』としか言いようがない


31 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:2014/11/20(木)19:43:59 ID:nsXe84BUu

知事「普天間小学校を安全な場所に移転させる」
左翼「小学校の移転に反対! 俺たちの基地闘争が出来なくなるから、絶対反対!」

こんなことを二回もやったクソ左翼




宜野湾市立普天間第二小学校

これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していた。

魚拓資料  

【揺らぐ沖縄】

児童の安全より反対運動優先か 

基地隣接の小学校移転




 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。

 市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)

 普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。

 南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。

 移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。

 同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。

 当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。

 安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。

 約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。

 防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。

 ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。

 安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。

 同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。


 その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。

 だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。

 当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。

 別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。


産経ニュース 2010.1.9 23:26


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